産まれてから初めの4日間、私はNICU(新生児集中治療室)で過ごしたの。あったかくて居心地がいい保育室に入ってたけど、ママとパパにずっと抱っこしてもらえなくて嫌だった。
産まれた日の木曜日は、ママに言わせると全てが上手くいっていたんだって。パパの方のおばあちゃん会いに来てくれて、診察では私の身体的特徴について「気になる」コメントをちょっと言われたけど、その時ママ達が心配してたのは心臓の事だけだったの。私がついに本当にここにいるんだっていうのがママは信じられなくて、NICUで私の名前が呼ばれる度に鳥肌が立ったんだって。
私が保育器にいるせいで、最初の愛着形成に影響が出るんじゃないか、ってママ達はちょっと心配だったみたい。だから親切なお医者さんや看護師さんが時々私を保育器から出して、ママ達と肌と肌で触れ合えるようにしてくれたの。それとママ達はいっつも私に話しかけてくれてて、声を聞くのがとっても好きだったんだ。夜にはその日ママ達が着ていた服を保育器の中に置いていってくれて、その匂いで私が安心出来るようにしてくれたの。ママ達はほんとに私をとっても大切にしてくれたんだよ。
金曜日になって、いくつか心配な点があるってお医者さん達がママ達にお話したの。私の手の平に平行な線が一本しか見られない事、耳の位置が低い事、口が小さくて足の形に奇形がある事を、心配な点として挙げたんだ。それから遺伝学のお話を始めたんだけど、ママ達には一体それがどんな意味なのか分からなかったの。遺伝的な病気が何か受け継がれてるかも、っていう意味だと思って、おじいちゃんおばあちゃんに電話したんだけど、特に家族で遺伝してる病気はないって言われて安心した。
でもその日に全ての状況が変わり始めたの。遺伝子病専門のお医者さんが入院中のママの所に来て、遺伝子についての一般論を話して、それから私に行った検査についてお話したの。ママは言われた事が全部分かったわけじゃなかったけど、何か大変なんだ、って事だけは分かったみたい。ママはパパに電話して、お医者さんに言われた事や、私がとても心配だって話したの。ママはとっても不安で一杯だったんだよ。パパも同じで、お医者さんからもっと話を聞きたがったんだけど、検査の結果が全て出るまでははっきりした事は言ってくれなかったの。その日の夜NICUでお医者さんから遺伝子病について話されて、学習が難しくなる状態から、生活が制限されるような状態まで、幅広い症状がある事を説明されたの。この時ママ達は初めて「生活が制限される」ような病気だって聞いたの。ママは思わず「まさかそんなはずないでしょ」って思った、って言ってた。
土曜日には更に色んな人が検査に来て、ママ達は私のおむつを替えたり、添い寝をしたり、ミルクをあげたり、抱っこしたりする事が出来たの。ママは私に一番いいように、っておっぱいを絞って飲ませてくれたんだよ。ママは何度も席を立って、注射器を何本も一杯にして戻って来たの。私はその時一度にほんのちょっぴり、2.2mlの注射器一本分しか飲めなかったから。それ以外の時は口から胃に通した管から栄養を摂ってたんだ。それから数時間後には、天地がひっくり返るようなショックを受けて、夢も希望も全て打ち砕かれる事になるなんて、その朝にはママ達はまだ知らなかったの。