ブリストル・チルドレンズホスピタル

私の診断が降おりた後一日かそこらの間は、この先どうなるのか良く分からない状態だったの。パパの方のおじいちゃん、ケリーおばちゃん、ママの方のおじいちゃんおばあちゃんとか、たくさん私に会いに来てくれたんだ。NICUではママ達以外は誰も私を抱っこ出来ない決まりだったけど、みんなが会いに来てくれてとっても嬉しかったよ。

月曜の朝、ようやく救急車で私をブリストル・チルドレンズホスピタルの循環器科病棟に搬送する事が決まったの。ママには色んな感情がこみ上げて来たみたい。NICUのお医者さん達や環境に慣れたところだったから、どこか新しい所に私を移すのが不安だったの。それと、救急車での搬送中は、誰も一緒に同乗出来ないって言われたんだ。ママは私から離れた事がなかったから、一緒に行けないっていうのが嫌だったの。でも、テディベアのアレクサンダーを一緒に連れて行く事が出来て良かったの。見て、これが私達だよ。

私の保育器が救急車に運ばれて、ママ達が見守る中、私は初めて広い広い外の世界に踏み出したの。とっても眩しかったよ。

 ママ達は車で病院に向かって、二人が32病棟に着いた時には、私は保育器から出されて自分の病室の特別なベットに寝かされてたんだ。NICUとは違ってその部屋はとってもすてきで静かで、私が保育器から出されたから、ママ達はいつでも好きな時に私を抱っこ出来るようになったの。ママももう退院して、私の病室には簡易ベッドがあったから、そこでずっと私と一緒にいる事が出来たの。

 その日はたくさんの看護師さんがママ達に会いに来たの。私がエドワーズ症候群だって事は、みんなにとってショックな事だったみたい。「近くにある子ども専用のホスピスを紹介しましょうか?」とか、困惑するような事を二人はいっぱい聞かれたんだって。どうしてそんな事聞かれるのか分からなかったから。一番大事なのは私の心臓手術で、何としても1%の生存者になる為のチャンスにすがる事で、私の事をすぐに諦める事じゃないと思ってたから。二人は困惑したまま、ものすごいストレスと緊張、分からない事だらけの一週間が始まったの。後で振り返ってみれば、最初からこの症候群についてちゃんと分かっていたら避けられた事だったのにね。

最初はみんなこの病院に満足してたんだ。病院の人達はみんなとっても親しみやすくて、ママ達が私にミルクをあげたり、着替えさせたり、お風呂に入れたり、抱っこしたりするのを許可してくれたの。 NICUよりも面会時間がずっと長かったから、私の状態を聞いてたくさん親戚や友達が会いに来て、ママ達を元気付けに来てくれたの。私は哺乳瓶から飲む事も出来るようになったんだけど、でもまだほんのちょっぴりだけだったんだ。ママはまだ母乳を絞ってくれてたけど、病室で出来るようになったから、私ともっといっぱい一緒にいられるようになって良かったの!!!それから黄疸の治療を受けなきゃいけなかったの。すっごい嫌な治療で、変なランプの下に寝かされて、眼帯をさせらたんだよ。眼帯が大っきらいで、いつも引っ張って取ろうとしてたんだ。

 そんな中、ストレスと緊張で、ママ達がとっても疲れて来ちゃったんだ。看護師さんやお医者さん達とのミーティングがない時間は、お見舞いの人達が来たり、私のお世話をしたりで、二人は置かれている状況や私について言われた事を、本当に理解する時間が全然なかったの。病院に来てから数日のうちに、お医者さん達は私に手術をする気が全くないって事が分かってきたんだ。私がエドワーズ症候群だからって、みんなが諦めちゃってる感じで、チャンスを与えてくれようとしないの。ママ達はどうしよう、ってすっごい困ってたよ。二人は自分達を責めて、私の命を守れるかも知れない必要な質問をし忘れたんじゃないか、って心配してたの。

 私の治療はしないで、何かあっても蘇生行為は行わない、って決まりをお医者さん達はママ達に話ししてきて、私の命はもう諦めて下さい、って言われてるみたいだった、って。二人は親になってまだ一週間も経ってないのに。本当なら今頃私を連れておうちに帰って、新たな家族として楽しくやってたはずなのに。それなのに今は人生で一番残酷な決断を迫られてるなんて。ママ達はストレスや、心配と戸惑、疲労と恐怖でいっぱいだったの。

でも、かなり偶然な事から、ついに色んな事が分かり始めて来たんだ。手術を拒否してたけど、どのお医者さんもエドワーズ症候群とはどんな病気なのか、現実的に予想される事を、ママ達にちゃんと説明してくれなかったの。二人は辛い不幸に押し流されていたけど、どうしてなのか誰も説明してくれなかったの。そんな時、親戚を通して、6歳のエドワーズ症候群の子どもを持つ人とママ達はようやく電話でお話が出来たの。その人達は自分達の経験を話してくれて、息子さんについて教えてくれたんだ。私が実際どれだけか弱いかって事、もしある程度生き延びたとしても他の子のように健康な体にはなれないって事を、そこでママ達は初めて知ったの。私が深刻な知的・身体的障害を負う事になるだろう、って。その人達は親切で、エドワーズ症候群とパトー症候群で助けが必要な家族をサポートする、SOFT UKっていうチャリティー団体を紹介してくれたの。

 木曜の朝にSOFT UKから二人の女の人が来てくれて色々話をして、そこでようやくママ達は全ての事を理解したの。

 お医者さん達はきっと、私には恐らく手術に耐えられるだけの体力がないし、もし耐えられたとしても、退院したり人工呼吸器をはずす事はまずないと判断したんだと思う。そこで「クオリティーオブライフ」についての問題が表面化して来たの。お医者さん達は、私にはクオリティーオブライフはないって意見だったのね。

 病院側は私の寿命はとっても短い、って思ってる事が分かって来たんだ。ママ達は私の洗礼をしたかったから、金曜日に教会の司祭が会いに来る事になったの。パパが、病院から見ればいつ洗礼を行った方がいいか聞いたんだ。そしたらその返事は「今週末」だったの。

 金曜日の夕方、ティム・ベル牧師と奥さんのメリーさんが病院に来て、私を祝福してくれたんだよ。洗礼は次の日に病院の礼拝室で行う事になって、ママ達はその日のうちに詳細を決めて、ゴッドマザー、ファザーになってくれる人達に連絡したの。洗礼の日の夜、二人は私と一緒に泊まって、交代で簡易ベッドで寝る事になったんだ。

私の洗礼式はとっても素敵な式だったんだよ。これがみんなの写真。

色んな気持ちが湧き上がって来たけど、お祝いの日でもあったの。この後、私の頭を濡らす為にみんなで近くのパブに行ったんだよ(私は全然何も感じなかったけど!!)。式が終わって、私の余命も数日しかないような感じがして、ママ達はすごく私を家に連れて帰りたかったの。でも私には栄養チューブが入ってたから、二人は使い方を教わったんだよ。1月31日火曜日、私の誕生から2週間弱で、ようやく機械が全部はずされて、ママ達は初めて私をチャイルドシートに乗せたの。ついに私を連れて帰れる事になって、二人は安心したけど、不安でもあったみたい。

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