3月

哺乳瓶から飲めるのはとっても嬉しかったよ。体重がちょっと増えたから、3時間ごとに50ml.ずつ飲むようになったの。ママやパパの腕の中でゴクゴクミルクを飲みながら、二人の顔を見てたんだ。

初めはミルクの時間は前みたいに分担してて、パパが夜間、ママが昼間担当だったの。ママがまた運転出来るようになったから、3月7日にパパはお仕事に戻る事にしたんだ。だから、パパが朝6時に会社に行く前と帰ってから手伝ってくれる以外、ずっとママがミルクを飲ませてくれる事になったの。

私は普通に飲むようになって、ちょっとげっぷが出て少しぐずるようになったの。これは前はなかったんだけどね。次のミルクまで1時間前になると、ママに言わせるとタイマーみたいに決まって、私は機嫌が悪くなって泣き出しちゃうの。でも(今のところはだけど)ミルクの時間までには落ち着いて、問題なく飲む事は出来たんだよ。

 ママはまだ母乳を絞ってくれてたけど、大変で疲れるって思ってたみたい。3時間ごとに50ml.飲むようになったから、なかなか十分に出なくなったみたいで。何とか足りてはいたけど、もし飲む量がこの先増えたら、粉ミルクを使わなきゃ、ってママは思い始めたんだ。

初めはパパが昼間うちにいないのが変な感じだったけど、おうちに帰って来るとすっごい抱っこしてくれるから、とっても嬉しかったの。

 それから、3月になって初めてお店に行けるようになったんだよ。おじいちゃん達がウエールズから会いに来てくれたから、みんなで一緒にブリストル郊外にあるおっきいショッピングモールに行ったの。ママはかなり大変だったみたい。3時間ごとに搾乳に帰らなきゃいけなかったから、車に荷物を準備して、モールまで行って、私を連れ出して、ミルクを飲ませて、おむつを替えて、お店を1軒ぐらい見たら、もう車に戻ってまた帰る時間だったの。

でもお外に出られるのは楽しかったよ。モールでは色んな人が話しかけて来たんだ。私の事を信じられない位ちっちゃい、って言う人達がいっぱいいて、私がミルクを飲むのを立ち止まって見る人達もいたんだから。この時初めてママは私が普通の赤ちゃんとはちょっと違うんだ、って感じさせられたみたい。ママは私の小ささに慣れてて、それがママにとっては普通だったけど、すごいたくさんの人に言われて、私がどれだけ小さいか思い知らされたの。ほとんどの人は「低体重だったんですか」って聞いて来て、ママは「いいえ」って答えたんだ。そうすると今度は私が何ヵ月か聞いてきたの。ママが8週間ですって言うと、みんなすごいびっくりしてた。

 ホスピスに滞在してる間、ママは私が音楽に良く反応するって気付いたの。だからママは私を「ママと一緒にミュージック」のクラスに連れて行く事にしたんだ。そこでもまた私はみんなに比べてとっても小さかったけど、お歌や色んな音を聞くのが大好きだったよ。

2-3週間は哺乳瓶で良く飲んだんだけど、その後問題が出てきたの。ミルクの時間が近くなると、私のぐずぐずが始まって、なかなかおさまらなかったんだ。ママ達は一生懸命飲ませようとしてくれたんだけど、前はなかったのに私は飲んだらすぐ吐くようになって。ママは時々ぐったり疲れちゃったの。飲ませるのに1時間近くかかったのに、私が吐いちゃってそれを掃除しなきゃいけなくて。次のミルクの時間までに、また搾乳して哺乳瓶を消毒して、家族や看護師さん達、友達からの電話に応対して。時々着替える時間すらなくて、一日中ママはパジャマのままのだったの。

ママの頑張りは3月18日の母の日には報われたんだよ。私がまだそこにいて一緒に母の日を祝える事を、ママはとっても喜んだの。パパと私はステキなトランプとお花、テディベアとインド料理の本(これはパパのアイデア)をママに買ったんだけど、本はパパが何を食べたがってるかってママにいいヒントになったと思うよ!!!!!

3回目のホスピス滞在が近付いていたけど、今回はママがこの一時利用を待ちきれないでいたの。私をスタッフの人に預けると、すぐにベッドに向かったんだよ!!ぐっすり良く寝る事がママには必要だったみたい。ホスピスにはジャクジープールだってあったんだよ。私の病気が分かる前、ママは私に泳ぎを教える為の、「ベビースイミング」みたいなクラスに参加させようと思ってたんだって。でも診断が降りてからは、感染病にかかるといけないから、公共のプールには行かない方がいいって言われて。

 でもここでついに泳げる事になったの。プールは最高だったよ。スタッフが音楽を流してくれて、天井には私が見るのにチカチカするライトをつけてくれて。これがママと私が一緒にプールにいる写真。私が産まれた瞬間を除けば、これが人生で一番最高の瞬間だった、ってママは言ってたよ。

ホスピスでは、スタッフの人が問題なく私にミルクを飲ませる事が出来たんだけど(スタッフのみんなの為にいい子でいたんだ!!)、ママ達に別の哺乳瓶と乳首を試すよう勧めてくれたの。NUKっていう名前の哺乳瓶なんだけど、ミルクがなかなかすぐには出て来ない感じで、そっちの方が私には合ってたみたい。それから、もっとカロリーが高くて成長を助ける、低体重赤ちゃん用の特別なミルクにかえる相談をしてくれたの。チルドレンズホスピタルの栄養士さんと相談してくれて、出来るだけすぐにインファントリニって名前のミルクに変更する事になったの。ミルクは処方が必要だったから、もらいに行く前にまず処方して注文してもらわなきゃいけなかったの。でも栄養士さんが、すぐに試せるよう何本かくれたんだ。すっごい濃くてクリーミーで、コンデンスミルクを飲んでるみたいだったよ。

 3月には私の初めての予防接種もあったんだ。ママはちょっと怖がってたみたい。受けさせるべきかどうか分からなくて、とっても心配してたんだって。でも、私の寿命がどれぐらいか誰も分からないんだから、受けないより受けた方がいいって決めたの。ママは悪い病気から出来るだけ私を守りたいって思ったんだ。注射は痛かったけど最初は平気で、でも結局後でほぼ12時間も家中に響き渡る程叫び続ける事になったの。その間はミルクは新しいのでもずっと拒否して、声がかれるまで叫んだら元気になってまたゴクゴク飲み始めたの!!!

パパがお仕事に戻っちゃったから、ママは一人で勇気を持ってまた私をウエールズ中部に連れて行こうと決めたの。ママは完璧にタイミングを合わせて実行したんだ。車に荷物を積んで、私を乗せて落ち着いたらミルクを飲ませて、それから出発。おじいちゃんちの前の道に車が停まるまで私は起きなくて、そこでまたママはすぐにミルクを飲ませたの。ウエールズにまた来れてとっても嬉しかったよ。もっと色んなお友達に紹介されて、おじいちゃん達とママの故郷を見て回ったんだ(おじいちゃん達は私に自慢してたと思うよ!!!)。おじいちゃんはママが寝れるよう、夜の間1回ミルクを代わりに飲ませてくれて、帰りも行きと同じようにスムーズにおうちの帰れたんだ。ママはとっても私を誇らしく思ったんだって。でも最後に一番良かったのは、パパに大好きな抱っこをしてもらった事。

 新しいミルクを飲むようになって、ママは搾乳を減らすようになったの。出る量だけ絞ってインファントリ二に足してたんだけど、一日に絞る回数を減らしていったら、出るミルクも少しずつ減っていったんだ。

ミルクは3時間ごとのままだったけど、新しいミルクになって少し飲む量が減ったんだ(1回35ml.ぐらい)。ミルクを飲むのにかなり苦労してたけど、私の体重は増え続けてたの。まだ3ポンド(約2700g)にいかないぐらいだったけど、少しずつ近付いてたんだ。

3月にはもっと色んな人が会いに来てくれたの。ベルファストから大叔母さんが来てくれたし、ママやパパの友達や親戚にもたくさん会ったよ。おじいちゃん達の所にも何回か行けて、とっても楽しかったんだ。おばあちゃんはいつもミルクを飲ませてくれて、私に会えてすごく喜んでくれたの。犬のバーティーにも会えたんだから(いっぱい吠えるんだよ!!)。

機嫌悪い時がちょっと増えて、ミルクを飲むのに苦労したけど、3月も大体いい月になったの。初めて泳げたし、お店にも行ったし、「ママと一緒にミュージック」のクラスにも行ったし(パパも来たんだけどね)、少しずつでも体重が増えたし。病気の兆候は全然見られなくて、ママ達は私の回復力が信じられなかったみたい。私はとってもタフな子で、まだ諦める気なんてなかったの。

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