ママ達は私を家に連れて帰って、まず最初に私を自分の部屋に案内してくれたの。もしかしたら自分の部屋を一生見れないかも知れない、ってすごい心配してたから、初めて連れて来れた時はとっても嬉しかったみたい。
パパはとってもラッキーだったんだよ。ママが運転出来ないから、パパが数週間お仕事のお休みをもらえたの。ママとパパとおうちにいられるのがとっても嬉しかった。ゆりかごで初めて寝た時はとってもステキで居心地良かったよ。
最初の数週間、ママ達は絶対私を一人にしちゃいけないって決めて、二人が行く部屋どこへでも私を連れて行ってくれたの。二人がリビングにいれば、私のゆりかごも一緒にリビングに運んだんだよ。夜は二人で交代で見ててくれたの。パパはもとから夜ふかしさんだったから、ママが寝てる真夜中に二人で一緒に起きてたんだ。パパが寝てからはママが起きて見てくれたの。パパと一緒の時間が私にとって特別で、大好きだったの。
ママ達は栄養チューブを簡単に使う事が出来たみたい。私は3時間ごと、40-45ml.ずつミルクを摂ってたの。すぐに終わっちゃうから、私はげっぷが出る事はなかったんだ。ママは相変わらず搾乳してくれていて、ミルクをあげて、搾乳して、殺菌して、おむつを替えて、服を洗濯して、っていう繰り返しで疲れたんじゃないかな。ママは私と一緒にいられる貴重な時間を奪われるから、家事の時間がもったいないって時々うらめしく思ってたみたい。
おうちにいる事になって、在宅ケアのお医者さんと看護師さん達のお世話になる事になったの。私の看護師さんはヘレンさんって名前で、私がおうちに来た後、内科と小児科のお医者さんと一緒にすぐに訪問してくれたんだよ。みんないい人達だったけど、私がどんな風に死んじゃう可能性があるのかとか、ママ達の心の準備の為のお話しがいっぱいあったから、ママ達はきっと辛かったんじゃないかなぁ。先生達はママ達に、栄養摂取中に私が窒息した時の為の吸引器と、私の状態が悪化し始めて安定させる必要がある時の為のモルヒネを用意してくれたの。
栄養チューブと注射器の予備の他に、私が装着していた呼吸モニターの為のテープとワイヤーの予備ももらったんだ。
お医者さん達の他にも、保健師さんや助産師さんも訪問してくれたの。時々うちはまるでサーカスみたいに大賑わいだったんだから!!!!助産師さんはママが帝王切開手術からちゃんと回復してるか確認してくれて、保健師さんは定期的に私の体重を測って、ママにアドバイスしたりサポートしに来てくれたの。
私がおうちに来てから初めてのちゃんとした週末に、 ママ達は装飾品にプリントする為に私の手形と足形を取ってくれる人を呼んだの。私はすごく嫌だったけど、何とかちゃんと取れたみたい。ママはハート型のペンダント、パパはキーチェーンを注文したの。
それから写真屋さんもすぐに呼んで、私の写真をちゃん撮ってもらったの。時々はちょっと不機嫌になっちゃったけど、でもとっても楽しかったよ。これがその時の写真。
その他にママがやったのは、私の為にツイッターのアカウントを作る事。ママが私のフリをして、毎日フォロアーの人達に、その日私が何をしたか、体重が増えたかとか、どれぐらい栄養を摂ったかとかツイートしたの。
デイビッドおじさんも遊びに来てくれたんだよ。リバプールに住んでて自閉症だから、ママは私がずっと会えないままになるんじゃないかって心配してたの。でもケアワーカーさんがその日一緒に付き添って来てくれて、いっぱい抱っこしてもらったんだ。
他にもいっぱい色んな人が遊びに来てくれて、たくさんの人に会えてとっても嬉しかったよ。ママ達は自分達の事にかまう時間がなかったら、ママ達に食べ物を持って来てくれる人もいたの。ヘレンさんとエリックさんはオランダから会いに来てくれて、ゴッドマザーのエラさんとママの友達のエマさんは、スコットランドから来てくれたの。ゴッドファザーのジョンさんと、リディアさんとイアンさん、パパの方のおじいちゃんおばあちゃん、ケリーおばさんとダミアンおじさん、それから従姉妹のデイジーとマチルダは、しょっちゅう会いに来てくれたんだよ。ママの親戚のおじさんとかおばさんとか従兄弟とか、ママのゴッドマザーのジャンさんとその旦那さんのベンにも会う事が出来たの。パパの会社の人も何人か来てくれたんだよ。みんないい人達で、たくさんステキなプレゼントをくれて、いっつも抱っこしてくれたの。
ママ達はすぐに私の指差しに気付くようになったんだけど、私はその指を顔の前で振るのが好きだったの!私はいっつも栄養チューブを抜こうとして、器用に指をチューブの下に入れて、抜けないか指をめいっぱい振ってみてたんだよ。何回か成功したんだから。最初に抜いた時は、ママは看護師さんが来てチューブを戻してくれるまで、注射器でミルクを飲ませてくれたの。口からもちょっとはミルクを飲む事が出来たから、ママはミルクの時間に口から飲ませるのも続けてくれたんだ。最初に注射器でちょっとミルクの味見をして、私が疲れちゃったら残りは栄養チューブから摂るようにしてたの。二度目に私がチューブを抜いた時は、近くのチルドレンズ・ホスピスの案内ツアーに向かう途中だったの。だからそこのスタッフの人がチューブを戻してくれたんだ。それから何回か抜いてから、パパは勇気をもって自分でチューブの直し方を習う事にしたの。パパはすごい人で、とっても優しいの。ママと私はそんなパパがとっても誇らしかったよ。
ママ達はホスピスにいるのが最初はちょっと居心地が悪かったみたい。最初は嫌々見に行ったんだから。私の病気の診断や、たった一人の子どもがホスピスのお世話になるっていう事を、ママ達には受け入れるのが苦しかったんだと思うな。案内ツアーでは、「スターボーン」って呼ばれる、そこで亡くなった子どもが安置されている部屋にも案内されたの。実際にその部屋を見て、ママ達はとっても辛かったと思うよ。私を失うっていう事実を、まだ受け止める準備が出来てなかったから。
そうは言っても、ママ達は次の週に最初の滞在をするよう予約を入れたんだ。そのホスピスで最初に過ごした夜はは2月14日だったの。ママ達が思い描いていたバレンタインの夜とは、かけ離れてたと思うよ。ほんとの事を言うと、その日は夜とっても遅くにホスピスに着いたの。ママ達はほんとに行きたくなかったから。着いてちょっとだけ食べてチェックインの手続きを終えたら、ベッドに入って隠れてるって感じだったの。スタッフの人が大丈夫か見に来てドアをノックしたのは、ほんとに次の日の午後1時になってたんだから!!
その日の午後、チルドレンズホスピタルで、循環器科のお医者さんとフォローアップの予約があったの。心臓のスキャンを撮る事もなくて、お医者さんからしてみたら、私との残された日々を楽しめるうちに楽しんでおきなさい、っていう感じだったみたい。それからお医者さんは、ウエールズ中部に住むママのおじいちゃんおばあちゃんに会いに行くよう勧めて来たの。ホスピスに戻る途中、ママ達は小児科の先生とミーティングがあったんだ。ミーティングの空気ははすごく張り詰めてたよ。「最期」について、その予兆、どんな事が起きるか、などに重点が置かれた話し合いだったの。最後にはママは完全に疲れ果てて、ついにホスピスの一時ケアが必要だって事を認めたの。
その日の夜、「ウエルカム」サインだってある、とってもキレイなお部屋に私は移されて、ママ達は少しゆっくりしてエネルギーを充電する事にしたんだ。二人は外食しに出掛けて、戻って来た時に、私が哺乳瓶からミルクを全部飲めたって看護師さんから聞いて大喜びしたの。
その後おうちに戻ってからも、時々哺乳瓶でミルクを飲むようになったんだ。それからママ達は循環器科のお医者さんの勧めに従って、ウエールズ中部に住むおじいちゃんおばあちゃんの所に私を連れて行く事にしたの。ママが育って色んなステキな人達と出会った家に遊びに行けて、とっても嬉しかったよ。私はとってもおりこうにしてたんだから。最初に言われてたよりもしかしたら私が長く生きられるかも知れない、ってママ達は思い始めたの。
ウエールズから戻ったら、私は聴覚のテストを受けたの。ビービー音が出る変な物を、耳にいっぱいつけたんだよ。結果は、私の左耳は正常だけど、右耳はそうじゃないって事だったの。ママは私に音楽を聴かせるのが大好きだったから、ママ達は私の耳が片方だけでも大丈夫でとっても喜んでたよ。それから金曜日にもっと徹底的な検査を行う事になったんだ。
二度目のホスピス訪問では、ママ達は今度はもっとリラックスした気持ちで、スタッフの人達に出来る限りお手伝いしてもらうようにしたの。スタッフとおしゃべりすると気持ちが楽になる、ってママは思ったみたい。誰も状況を変える事は出来ないけど、スタッフの人達は話を聞いて理解してくれたの。それから私の栄養摂取も一生懸命手伝ってくれたんだよ。ママは哺乳瓶で何とか少しは飲ませてくれてたけど、ほとんどは栄養チューブに頼らなきゃいけなかったの。だからスタッフの人達は頑張って、ミルクをチューブなしで毎回全部哺乳瓶で飲ませてくれたんだ。ママ達は側に座ってどうやってやってるのか見てたんだよ。私は少しずつ哺乳瓶から全部ミルクを飲めるようになって、ママ達はとっても喜んだの。そっちの方がっずっと自然な飲ませ方だし、私がミルクを味わえるって事だったから。
ちょっとがっかりしたんだけど、ホスピスにいる間に、私の聴覚検査の件で病院から電話があったの。私がエドワーズ症候群にかかっている事が分かってるのに、聴覚テストに来てもらう必要があるのかどうか、って言われたんだ。ママはその態度にとっても怒ったの。もちろんママは私がどれぐらい良く聴こえてるのか知りたかったから。まるで誰も私の事で手を取られたくない、って思ってるように感じたみたい。ホスピスからママの為に病院に電話してくれて、どれだけ傷付く電話だったか説明して、予定通り金曜日に検査を行う事に同意してもらったの。
検査では変な物がたくさん頭につけられて、ビービー音が鳴ったの。結果は同じで、左耳は正常だけど、右耳はちょっと聴力が弱いって分かったんだ。でも極めて正常みたいだったから、すぐに何か対処するようには言われなかったの。
2月にママ達は、産前に参加したグループの、産後ママ再会イベント参加する事が出来て、とっても喜んでたよ。産前のミーティングで何人もいい友達が出来てたから、私がみんなに会えたらいいなって思ってたみたい。みんなで会って、私は他の赤ちゃん達に紹介されたんだ。
2月の終わりには、状況は上向きに見えたの。おうちに来て1ヶ月経っただけじゃなく、ほんの少しずつだけど体重は増え続けてたし、ウエールズ中部にも旅行出来たし、おじいちゃん達のおうちにも行けたし、こうして元気にしてたから。哺乳瓶で上手に飲めるようになって、鼻から胃に通してたチューブもはずされたの。やったー!!!