信じられないと思うけど、この新しいミルクでおむつの中がすごい事になったんだから。ママ達は一瞬ショック状態になって、それから20分ぐらいお腹を抱えて笑い続けたんだよ。こんな小さい私からあんなにすごいモノが出てくるなんて信じられなかったみたい!
4月も一日の大半をミルクを飲む事に費やしたんだ。飲むのにとっても苦労するようになっちゃったから。だいたいの時は飲む気がなくて、飲む量が毎回減っていって、最後にはほとんど飲まないぐらいになっちゃったの。飲んだのもすぐもどしちゃったから、また飲まなきゃいけなくって。
4月3日に、ママ達は嫌々ながら栄養チューブに戻す事に決めたの。訪問看護師さんのヘレンさんがママがミルクをあげるのを見に来てくれて、やっぱりチューブに戻した方がいいって同意したんだ。ヘレンさんがチューブを入れてくれたんだけど、私はとっても嫌だったよ。ヘレンさんが帰った後、ママは私にミルクを飲ませて寝かせてくれたの。ママがこっちを見てない間に、私はミルクを吐いてチューブを抜いちゃったの、えへへ。
パパが帰って来てチューブを戻して、その日の夜はチューブから2回ミルクを摂ったんだ。私は産まれてまだ数週間しか経ってないけど、声を出す事は出来たから、それを使う事にしたの。ママが耐えられなくなるまで、叫んで叫んで叫び続けたんだ。朝方にはパパがチューブをはずしてくれたの。やった!
私がチューブを嫌がってミルクを全然摂らないから、ママ達は誰かの助けが必要になったの。私をまたERに連れて行く事にして、そこで素晴らしいお医者さんと栄養士さんに出会えたの。全然飲まないんです、って聞いてたスタッフの前で、もちろん前にホスピスでやったみたいに、私は哺乳瓶1本全部ゴクゴク飲んで見せて、ママ達をかなりイライラさせたの!!私を診察した結果、逆流性食道炎かも知れないって事になっって、ミルクに混ぜて飲む赤ちゃん用の胃薬と、一日一回溶かして飲む錠剤をもらったんだ。
あと、うんちが規則的に出なくなってるって事で、便秘を解消する下剤も処方されたの。
病院から戻ってすぐはちゃんとミルクを飲んだけど、またその後は前のように飲まなくなったんだ。全然飲まなくなっちゃって、ママが1時間半もかけて飲ませてもほとんど飲まないで、そのほんのちょっぴり飲んだのをすぐに吐かれて終わる、っていう時もあったの。看護師さん達の前では、私はまるで夢みたいにちゃんと飲むから、ママ達は自分達が嘘をでっち上げてるような気がしたみたい!!おばあちゃんちに行って大叔母さんのキャロルに会った時は、叔母さんの前だからちゃんと飲んだけど、おうちに帰ったらまた飲まなくなって。ママ達はどうしていいか分からなかったの。
4月11日に4回目のホスピス滞在でチェックインした時、状況が最悪な状態になったの。着いた時に看護師さんが私の顔が赤いみたい、って言って。それまでは具合が悪そうではなかったけど、ママも何おかしいみたい、思ったの。初めはスタッフとママ達は私がちゃんと飲まない事についてだけ気にしてたんだ。それから私はプールでまた泳げて嬉しかったの。特別に楽しかった思い出。
看護師さんのキャシーさんが親切にもお休みの時に、私に合うのがないかって、色んな種類の哺乳瓶と乳首を探しに行ってくれたの。そこでHabermann Feeder(ハバーマンフィーダー)っていう特別な哺乳瓶を見つけて来てくれたんだ。一定量ミルクが出るようになってて、低体重や口唇口蓋裂の赤ちゃんが使う物なんだって。いいかも知れないって、ママ達はアマゾンで注文して次の日配達してもらったの。
でもここから状況が変わって行ったの。ママがネットで新しい哺乳瓶を注文してる間、看護師さんやお医者さんの目の前で私の容態が悪化したの。ママは呼ばれて、みんなの顔を見て何か問題が起きたんだって分かったの。パパの仕事場に連絡してすぐに来てもらうようにって、スタッフにお願いしたの。みんなとっても心配してたみたい。ママはその夜眠れず、心配だからって、結局私の部屋に来て一緒にいてくれたの。
朝になってママは私が鼻水を出してる事に気付いて、私が風邪をひいたのかもって思ったの。どんな感染症も私には大敵だって聞いてたから、すごくすごく心配になったんだって。私は風邪シロップを飲まされて、みんなは私の様子にとっても注意してたの。数日が過ぎて私は少し回復したみたいで、大した進歩にはならなかったけど、新しい哺乳瓶からも少し飲んだんだ。
ミルクを全然飲まなくなって、どれだけ飲まないかついにみんなにも分かって、土曜日にホスピスのスタッフがチューブを戻したら、って言ったの。土曜日は体調が良くない日で、私はとっても顔色が悪かったから、見るからに具合が悪そうでママがとっても心配しちゃったんだ。前と同じように、またチューブが戻されて私はとっても嫌だったの。具合は悪いかも知れないけど、これには私はまだ断固として闘うつもりだったよ。叫んで叫んで叫び続けたの。全然止めなかったんだから。その日ホスピスにいたら、誰でも聞こえたはず!!!その日の夜私の担当看護師だったかわいそうなジャンさんは、へとへとになって帰ったと思う・・・ごめんね、ジャンさん!
日曜の朝5時、ママ達はドアをノックする音に目が覚めたの。開けたらキャシーさんが私を抱っこしていたの。そして、私がかなり衰弱していて、その日一日恐らく持たないと思う、ってママ達に伝えたんだ。ママ達はすごくショックを受けて、すぐにチューブをはずそうとしたの。私がとっても嫌がっていたから、着けたまま旅立って欲しくないと思ってくれたの。
ママ達はその日の朝、ただ抱っこしててくれたんだ。私は腕の中で眠って、暖かくて嬉しかったな。弱っていくかわりに、私は闘い続ける事を決めたの。その日時間が経つにつれ徐々に回復し始めて、顔色も戻ってミルクも少し飲んだんだ。ママ達はこんなに小さな私の抵抗力と生命力に驚いたみたい。
日曜と月曜を通して、私は回復し続けたの。完全に回復した事を見届ける為、私のホスピス滞在は延長されて、たくさんお見舞いに来てくれたんだよ。ママの方のおじいちゃんおばあちゃん、いとこや叔母さん叔父さん達は何度も来てくれたの。パパの方のおじいちゃんおばあちゃんも来てくれたし、デイビッドおじさんもまた会いに来てくれたんだ。おじさんはケーキをたぁくさん食べてたよ!!!!!
4月17日の火曜日、また私の容態が悪化したんだ。その時は小児科のお医者さんと一緒にいたの。私はちょっと汗をかいていて、とっても興奮してなかなか落ち着かず、心拍数が200を超えてたんだ。ママは私を一目見るなり「具合良くなさそう」って言ったの。私がとっても興奮してたから、モルフィネを投与するべきかどうか、みんなで話し合ったんだって。たくさん話し合った結果、ママ達は少し怖がってたけど、少量のモルフィネが調合されたんだ。ママ達はじっと観察しながら待ってたんだけど、あれだけ話し合ったにも関わらず、ほとんど効果がなかったの!!!その日の夜、モルフィネの量を増加して投与されて、ようやく私は落ち着く事が出来たんだ。
水曜日目を覚ますと、私はまるで別人だったの。心拍数は元に落ち着いていて、顔色も戻ったんだ。みんな信じられなかったんだって!!私は小さいかもしれないけど、とぉってもタフだ、ってママ達はすごく誇りに思ってくれたんだ。
私の健康が戻って来て、ミルクの問題にまた取り掛かる事になったの。新しい哺乳瓶が、みんなが望んでたような解決にはつながらなかったから。それで、密度が高い食べ物の方が、飲み込みやすいかも知れないから、離乳させるのはどうか、っていう提案が出たんだ。その日の午後、私は離乳食のおかゆを少し試したんだけど、舌つづみを打ちながらペロリと全部平らげたの。まだミルクも注射器で飲まされてたけど、何か新しいものを試すのも悪くなかったよ。
信じられない事だったけど、木曜日にはおうちに帰れそうなぐらい私は元気になってたんだ。ママ達はこのまま家に帰れないんじゃないかって心配してたから、帰れるって知ってすっごく喜んでたよ。帰る前にどうやって食べ物を裏ごしして私の離乳食を作るか、ママは教えてもらったんだ。りんごのピューレを食べたんだけど、すっごく美味しかったよ。
色んな物を食べてこんな風に思ったから、私の甘い物好きはママ譲りって言ってもいいかもね。
りんご-おいしい、さつまいも-何とも言えない、にんじん-悪くない、なし-最高、パースニップ(さとうにんじん)-まぁまぁ、バナナ-一番のお気に入り!!
家でも時々顔色が悪くて、一度また興奮した時は、少しモルフィネが与えられたの。でも食事の問題を除いては、問題なく元の通りに戻ったみたいだったんだ。
ママの友達のハナさんとロイさんが会いに来てくれたの。オーストラリアとか言う所に住んでるらしいんだけど、自分達の家族と私に会う為に飛んで来てくれたんだ。オランダからヘレンもまた会いに来てくれたよ。ステキなi-Padを持ってて、ダウンロードした赤ちゃん用アプリのクルクル回る絵を見るのが、私は大好きだったんだ。
どれだけちょっとしか栄養を摂ってないかを考えるとびっくりなんだけど、ほんの少しずつだけど体重が増えていったの。5パウンド11オンス(約2580g)まで増えて、6パウンド(約2700g)まであと少しってとこ。
4月の終わり頃には、メイ・トラストから来た、看護師のジェシーさんが初めて来てくれたの。メイ・トラストは、ブリストルにある慈善団体で、1回3時間のレスパイトケアに看護師さんが来てくれるんだ。ちゃんと看てもらってるって分かってるから、ママはその間に家事をしたり、買い物にだって行けたの。初めに来てくれた時は、看護師さんに抱っこされて私はずっと寝てたの。とっても気持ち良かったよ。あ、前に言ったっけ、私、抱っこが大好きなの。
4月は無事に終わったけど、大変な月だったの。初めてママ達は私の具合が悪い「現実」に立ち会ったから。でも私は一生懸命闘って、もう少しだけここにいたいんだって態度で示したの。だってここが好きだから。